飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

沈黙

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借りものの言葉を語るな、と言われてしまって

震える口元として、振動として、

ついぞ黙ってしまう

 

このひらがな、この文法、この音さえも、

わたしのものにはならなくて、

風に揺れて落ちゆく銀杏としてしか、

存在することができない

 

どこにいくにもわたし、

あたまから立方体をはめられて

 

じたばたと世界を揺らして、

通りじゅうの木の葉が翻って、

昇り葉になるように、と神様に祈ってみたりする

二礼二拍手一礼

 

 

 

だめだよ、きみは孤独でなくちゃ

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あなたが両の腕に抱えた宝箱。銀色、月の光と同じだね。冷たい光だけがあなたと溶け合うことができて、まあるいテーブルの上にしゃがみ込んでは、揺れるカーテンを見つめていた。そんな時、ぼくはいつもどこか遠くにいて、描きかけの油絵の香りだけがぼくをここに留まらせてくれる。「わたしの世界を見せてあげる」ってあなたが言って、氷の上でしなやかに踊った。溶けてしまえばぼくのところへ来られるのに。

書くしかないので書く

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ぐるぐると目の前を漂うのは蜘蛛の糸である。あなたは暗闇の中でも、その銀色の糸をしっかりと見つけることができる。てらてらと輝くそれは、いったいどこからの光を反射しているのだろう。天の川のような銀糸。あなたには口を少しだけ開けて呼吸をする癖がある。わずかに白い歯が見えたと思うと、するすると糸を吸い込んでゆく。滞りなくゆっくりと。目の前の糸群は着実にあなたの体内に含まれていく。するととたんに、暗闇の行き止まりがあなたの身体を包み込もうと向こうから動き出す。するすると吸い込まれる糸、ずるずると引き寄せられる行き止まり。わたしの気がつかないうちに、あなたは静かに小さくなって、ちっぽけは蜘蛛になっている。

 


 


わたしはものを書くものだ。あなたの吸い込んだ糸をむしゃむしゃと食んで拡大する、「ものを書くもの」である。

 


 


今日は学校に行かなくてはいけなくて、だから早くに起きて顔を洗って歯磨きをしてコーヒーを飲んでまた歯を磨いた。歯を磨く時間はすきだ。全てを清算してくれるような気がする。熱い口内と朝の空気のコントラスト。眠気を吹き飛ばすような爽やかなミントの香り。これから向かう外の世界とわたしの境界線をぼやかしてくれるような強烈な刺激。その刺激を纏ったまま、わたしは小さく呼吸をする。

 


2月の後半。くもり。中途半端な季節だ。適度にやわらかい冷気の中では、自分がこれから夏に向かっているのか、冬に向かっているのか、そういうことが時々わからなくなってしまう。アーケードを抜けて、バス通りを横断する。老人が横断歩道を無視して歩いて行くのが見える。杖をついた老人ほど、横断歩道をわたらないのはなぜだろう。そこまで行くのが手間なのか、それとも、「まだ死にたくなかったのに」と思いたいだけなのだろうか。わたしも老人も、自分の生きた時間をもっともらしく飾り付けるのに必死で大変だな、と思う。

 


 


停車場でバスを待つ。バスは来ない、ずっと来ない。あなたはだんだんと不安になる。来るべきはずのバスが来ない。あなたは周りを見渡す。老人の白髪のすきまに小さな蜘蛛がかさかさと動くのが見える。お尻から糸を出している。とたんに、白髪がすべて銀糸のように思えて、あなたは目を擦った。相変わらず、蜘蛛は糸を吐き出している。あんなに小さな身体のどこから、あんなにたくさんの糸がでるのだろう、とあなたは不思議に思う。

 


 


あなたはずっと眠るのがすきで、だから休みの日には一日中布団から起き上がれなくてもどうやら幸せらしかった。今日も昨日も過ぎ去って、あなたはほんの僅かに開いた口から少しずつ世界を食べて、世界を吐き出す。だから何も食べなくても生きていける。あなたの家には同居人がいる。同居人はとても愉快な人だ。あなたと違って、朝に起きて、ご飯を食べて、外へ出かける。あなたはそんな同居人を横目にずるずると布団の中に帰って行く。だからあなたは太陽の出ている間はたいてい一人で眠り、時々のそのそと起き上がって世界をまたひとかけら食べた。今日のは『雲林地帯に住むタランチュラ』、昨日は『赤道と鏡の関係性について』だった。あなたは訝しげに文字列を口に含み、がしがしとかじって、んくんくと飲み込む。あまり楽しそうではないけれど、あなたにとっては大事なことだった。

 


 


何かがおかしかったんです、去年の3月からでした、とわたしが告げると、先生は真剣そうな顔をして頷いた。わたしが真剣そうに話すと、先生は真剣そうに頷く。わたしが可笑そうに話すと、先生は可笑そうに頷く。変な人だな、と思う。中身なんてないんじゃないか。

 


「それで、どうなんですか、わたしの身体は」

 


わたしはまた真剣そうに聞いてみる。先生は眉間にいっそう深い皺を刻んで、ひとつコホンと咳をしていう。

 


「蜘蛛がね、いるのですよ。それはいいんです。蜘蛛というのはいい生き物で、つまり、有益な虫なのですよ。けれどもあなたさんの場合にはね、それが、あなたのお腹の中にいるというのが極めてまずい。」

 


外側で有益なものが、内側でも有益とは、これはまあ限りませんからね、と先生はいった。自分の言葉がやけに気に入ったらしく嬉しそうだった。わたしは、先生への信用がすっかり消えてしまったので、蜘蛛のことも体のことも、とりあえずは置いておこうという気持ちになってきた。それに、先生の話す言葉のリズムは愉快で、軽快だった。先生のことは好きではないけど、先生の言葉がもつ音は好きだと思った。

 


 


 あなたは大学で講義を受けながら、自分の体の中に巣ぐう蜘蛛について考えた。3月。桜の蕾が膨らむ下旬。初春。それは友人が死んだ季節の名前だった。あなたは自分が置いて行かれたような気になって、身勝手に泣いた。文字通り、3日三晩泣いた。自分の無責任さを呪いつつも、同時に、自分の無力さに慰めを求めた。「わたしはちっぽけな人間で、だからすべての人間を支えて生きることはできない」。あなたはその言葉を繰り返し唱えて、ノートに書いて、そうやって自分だけのバイブルを作った。うそをつきすぎて、真実と虚偽の境目が曖昧になったあの羊飼いみたいにあなたも誰かに罰せられることを望んでいた。あなたはそれでも生きなくてはならなかった。ガルシア・マルケスの小説に出てくるエステバンのように、主体性を欠いて死んでいくのは嫌だと思った。

 

 ・

 

 去年の3月から一年が過ぎて、今年の3月がやってくる。人を愛したり、愛さなかったりして、わたしはいくつもの季節をゴミ箱に放り投げた。ゴミ箱からは、くしゃくしゃに丸められた桜の呻き声が聞こえる。海水の腐った臭いがする。萎びれた皮カバンのような色になった雪が、溶けることもできずに春を待っている。わたしは今ここで息をしているわたし個人の身体に対して具体的な意思を何一つ持ち合わすことができずにいる。毎朝起き上がることはできる。ホットケーキを焼いてマキネッタでコーヒーを淹れて、そうしてそれらを胃に流し込んで生きていくことができる。ひどい味だ、ビニールみたいに無機質だ。それでもそれを無理やり流し込む。電車にだって乗る。つまらない講義だってしっかり鉛筆を握って聞いている。長いあいだ眠っていると、そうしたことができてしまう。ただ流されていくように、大きな波に運ばれていく空き瓶のようにわたしはただただ息を吸って吐くだけを繰り返して繰り返してそこで眠っていた。

 

 ・

 

 蜘蛛はあなたの中で大きくなる。あなたが嫌いな世界をむしゃむしゃと食べるたびに、わたしもまたそれを食べた。ひどい味だ、ビニールのように無機質だ。あなたは時々、パンケーキやカプチーノをまずそうに口に入れた。かわいそうに。あなたの嫌いな世界を食べて、わたしはあなたのための世界を紡ぎたい。そうやって、わたしは大きくなる。

 

 ・

 

「・・・。」

 

「それで、どうなんでしょう、レントゲンの結果は」

 


「あなたの中には・・・これは大変言いづらいんですけどね、いや、しかし、これがわたしの仕事ですから。なんとも」

 

「それで、何が見えたんですか」

 

「街、いや、山、海のような、つまりはですね、そこには世界があるのですよ。あなたのお腹の中にね。ええ。」

 

「・・・。」

 

 ・

 

 わたしはあなたのために世界を紡ぐ蜘蛛になる。外も内もぜんぶ包み込むような世界。

 

 

つよくなる

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もう誰にも負けねぇ、という気持ちがいつもある。それは別に、相手を打ち負かして悔しがる顔を見たいとか、恨みを晴らしてやりたいとか、そういうことではなくて、もっと憧憬の念がこもった心持ち。憧れと言う言葉はどこか静止しているように思える。憧れている主体である私は、今ここにずっと留まるだけで、目の前のあの人をただ眺めることしかできない。でもそんなの本当は嫌で、私はあの人の見ている景色を見たいし、あの人を超えてもっと豊かになりたいと思う。あの人の言葉で私の幸せを語るんではなくて、あの人もどの人もみんなの言葉を吸収して私の言葉を紡ぎたいと思う。だから私は動く主体としてあらなければいけないし、だから今日も戦って、もう二度と誰にも負けたくないと思う。そうやって、少しずつ強くなりたい。

 

ねむい

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人を愛したり、愛さなかったりして、僕はいくつもの季節をゴミ箱に放り投げた。ゴミ箱からは、くしゃくしゃに丸められた桜の呻き声が聞こえる。海水の腐った臭いがする。萎びれた皮カバンのような色になった雪が、溶けることもできずに春を待っている。僕は今ここで息をしている僕個人の身体に対して具体的な意思を何一つ持ち合わすことができずにいる。毎朝起き上がることはできる。ホットケーキを焼いてマキネッタでコーヒーを淹れて、そうしてそれらを胃に流し込んで生きていくことができる。ひどい味だ、ビニールみたいに無機質だ。それでもそれを無理やり流し込む。電車にだって乗る。つまらない講義だってしっかり鉛筆を握って聞いている。長いあいだ眠っていると、そうしたことができてしまう。ただ流されていくように、大きな波に運ばれていく空き瓶のように僕はただただ息を吸って吐くだけを繰り返して繰り返してそこで眠っていた。

 


その春、僕は大学で一人の物静かな青年になっていた。ノートを貸してくれと言われれば貸したし、ご飯に行こうと言われれば行った。京都まで車を運転したこともあった、あれは本当にひどい旅だった。寝息の聞こえる車内から見る真っ暗な海ほど、人を孤独にするものはない。僕だけ置いてけぼりにされているように感じた。海の底にも沈めず、豊かに眠ることもできない。僕が沈んでいるのは海ではない、立っているのは母なる大地ではない。朝が来ることのない、朝日が二度とさすことのないそういう場所で僕は眠っている。

冷えていく

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文字に対する圧倒的な信頼が世界に膜をかぶせているように思う。「文字」「圧倒的」「信頼」「世界」という単語を目にして、それぞれに抱くイメージを疑わぬままに受け入れてしまう。海に「うみ」という名前をつけて、愛おしい立ち振舞いを「かわいい」と形容するとき、その海は死に、あの愛しさは消滅する。すべての海の最大公約数としての「うみ」は実態を持たぬ無色透明無味無臭の海である。

 


次に寄せてくる波は前の波とほとんど同じだけれど、よく見ると少しだけ違う。どれが本当の波なのか分からないまま、わたしも何度も同じことを繰り返し書くしかない。 (多和田葉子『雪の練習生』より抜粋)

 


文字である「波」はこの世界のあらゆる波を包摂するが、その波自体を指し示すことは永遠にできない。そのため「何度も同じことを繰り返し書く」しかないのである。そして、 繰り返し「波」を書き綴ることでその波の姿は消えてしまうのだろう。

 

 

文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人 間の中にはいって来た。今は、文字の薄被をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々 は知らない。(中島敦『文字禍』より抜粋)

 


文字文化によって、「歓び」も「智慧」も記号の後ろに隠れてしまった。そして我々は次第 に対象を細部まで観察するための五感を衰退させてしまったのではなかろうか。

 

言葉で語ることで、その余剰を剥ぎ取って殺してしまえる。血生臭いな。

丁寧に慎重に言葉を紡ぎたい、でも文字は記号で、「 愛 し て る 」は音だから、あなたのこと、いつまでたっても愛せない。

「美しい水死人」ガルシア=マルケス

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風がうねりをあげているあいだは、男を追いかけてきた過去が遠くから運ばれてきて、女たちの与えた名前や彼に関する妄想に蝕まれないでいられる。しかし、風がやんでしまえば、男は過去から断絶され「エステバン」としてそこに横たわるしかない。「エステバン」という名前と溺死体が恣意的に結合されて、そこからあらゆる妄想や幻想がリアリティをもった虚構として男の周りで網の目状に拡大してゆく。死んでしまった男の顔は威厳に溢れとても美しいが、それは生前の男の生き様がそこに残っているというよりは、死を契機としてその後も「成長し続け」た結果として獲得した美しさのように感じられる。都合の悪い過去や男自身の自我は切り離されて、都合のいい妄想や幻想が男の周りをぐるぐると取り巻いて、「最も美しい溺死体」が完成するのである。真の美しさは生きているものには宿らないのかもしれない。その後男は、虚構の親戚をこさえて、その土地の人々が最も立派であるとされるやり方で葬られてしまう。

この前仲の良かった友達の葬儀に参列した時、その死体を目の前にして「きれいだね」と呟いている人がいて、それがとても嫌いだった。生前のその子なら絶対しないような真っ赤な紅を引かれて、スポーツを頑張ってこんがり焼けた肌は白粉で隠されてしまっていた。彼女には彼女の過去があり、自我があったのに、死んでしまうとこうやってされるがままになってしまう。だれにもまなざされないまま、土にかえりたいという願いはきっと叶うことはなく、だからなるべく生きるよ。

 

知らない言葉で讃えれる美しさ、断絶された弔い、男が愛した神の膝下へ彼の魂が帰れますように。