飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

ゼミの志望理由書

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「かわいい」「かっこいい」「おとなっぽい」という形容詞では象ることのできない細かい凹凸が人間にはあって、そうした小さな違和感を拾い上げてくれるのが文学だし、詩作であればいいのにと思う。資本主義社会で、みんながみんな、上を向け、立ち止まるなと叫ぶけれど、たまにはしゃがみ込んでしまったっていいじゃないかと私は思う。立ち止まって、考える時間があったっていいし、コーヒーを淹れたり、花を愛でて過ごす火曜日があったっていい。それなのに機械のようにモノを喰らい、働き、眠る私たち。量産されていると感じる。自分だけの美しさや、可愛らしさは切り落とされて、後付けのえくぼとか二重瞼がスタンプされていく。本当にすきなひとは他にいるのかもしれないけれど、仕方がないから2番目にすれ違った人と結婚をする。そうやって老いて、動けなくなった頃に、本当は私ピンクじゃなくてグレーが好きだったし、アメリカに行くよりもキリバスに行きたかった、とか嘆いたって、来世に期待ですね、と言われてしまう。私は今世で幸せになりたいし、どうせなら私だけが好きなものを棺に入れて焼かれたいと思う。でも今の私は、ただのハタチの小娘なのだし、丸腰で頭も悪い。社会とか、大人とか、お金とか、もっともらしいそれらに絡み取られて担ぎ上げられて、結局ショッキングピンクの棺にいれられてしまうかもしれない。だから学問をしたいと思った。生きていくこと、牛や魚を殺して自分だけ生きながらえるということや、私が好きだと思うものを大声で叫ぶことに、自分なりのロジックが欲しい。

世界は目に見えないし、「かわいい」も「かっこいい」も「おとなっぽい」も触れることができない。だから私は、私だけの物差しを常に持っていたい。そしてそれを日々更新していけるだけの優しさを備えていたいと思う。そのために、学問をして、知識を得て、思考する力を養いたい。そしてそれを武器にして、私は私として生きたい。

 


いつか小説が書きたいし、だれかの切り落とされてしまいそうな個性を拾い上げられるような文章が書けたらいいなと思う。そのためには、小説ばかり読んでいては不十分なのだとつい先日気が付いた。いい文章を書ける人は、様々なメガネで世界を見ることができる人だ。そのメガネは受け継いだり、買い取ったりすることができない。自分で培い、育てなければならない。今まで生きてきた人、今生きている人の考えていることをなるだけたくさん吸収して、自分だけの世界の見方を作れればきっといい文章を書けるはずだ。人が苦手で、愛想もないが、ともに学問をする中で、考えることが好きな人たちの頭の中を垣間見れたらいいなと思う。