飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

時代遅れとて

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逃げ恥が好きだという話

わたし自身がすごくいいドラマだと思って見終わったから、SNSで批判している人の意見を、なんだか心が狭くて嫌だなあ、と避けてしまっていた。でも、「みくり平匡の子供が生まれて泣いてる沼田さんに「僕らには僕らの幸せがありますから」って声かけるパートナーとか、百合ちゃんの「子宮使わないまま終わっちゃった」発言も、出生を絶対善として見た言い方で、子供がいなきゃそんなにダメなのか?という感じでバイアスを感じた」っていうツイートをたまたま読んで、わたし、間違っていたんだな、と気がついた。脚本家の野木亜紀子さんも原作者の海野つなみさんも、こんな未来になればいいな、みんなが優しくあればいいなって思って、作品を作り上げたのだろう。細いところにも気を使いながら、誰も傷つけないように、それでいて今の社会問題を再考する機会を視聴者に与えられるように。そうして出来上がった作品に対する批判はきっと、「冷たい」人が、「夢のない」現実をつらつらと綴って出来上がったものではなくて、そうじゃなくて、これは「期待」なのだ、と思った。何の配慮もない作品を見たときには言いづらくて、吐き出されなかったもやもやも、この作品なら拾い上げて包み込んでくれると思って、みんな期待をしているんだ。わたしはまだ若い、だからバイアスに左右されないと勝手に思い込んでいた。でも、知らぬ間に、人の幸せになりたいという期待を、冷徹な悪口とはき違えていた。わたしにも気づけない他人の叫びが、この世界にはある。「みんな違ってみんないい」じゃ解決できない問題が山積みだ。それでも、わたしは、優しくなりたいと思う。わたしもみんなも幸せであればいいと思う。だからもっと、敏感にならなくては。どんな人の悲しみも喜びも拾い上げられようになりたい。