飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

幸せになりたいよな

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こんな風に愛したいとか、こんな詩が書きたいとか、こんな風に死にたいとか、そういう抽象画みたいな言語しか話せなくなる時がある。暗いよりは温かく、浅いよりは深く、醜いよりは美しく、みたいに。でも例え、完璧な抽象画が完成したとして、そのモチーフは完璧な現実だろうか。完璧な観念や、価値観や、人間や風景が存在しないみたいに、完璧な世界はきっと存在しない。抽象的な列車が走るのは偏見ででき上がった線路の上だけかもしれず、それらは不完全で、未完成で、アドホックに敷き続けなければならない線路だ。老朽を許さず、常に先を見続けなければ、沈む列車、腐る線路、それらは化石になるのだ。わたしはまだ未熟で、学問も十分にできてない。虚構と現実の狭間で揺れ動くのは、わたしのメトロノーム。でも、だからこそ、見守って欲しいのです。わたしには時々どうしようもなくなって、叫べず、泣けず、喚くこともできずに、文学も、絵画も、宗教も、音楽も、機能主義も、中島敦も、高野悦子も、人文学も、社会学も、すべてから目を伏せて、立方体を頭から被るようにしてしか眠れない夜もあります。それでも私は学問をしたい、文学がしたい、暖かいココアを飲みながら君と談笑する夜が好きなのです。幸せになりたい。私たちはみんな幸せになりたいのです。