飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

アイデンティティの再構築と置き去りの魂

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私しか、私が存在していることを知らない街で暮らした。雑踏の中、地下鉄のホーム、人のいないお寺の境内で、私は私の存在を認めてあげなくてはいけなかった。そうでなければ、この体は、この声は、この魂は、すぐにぽろぽろと崩れ落ちてしまっただろう。気圧によって、なんとか形を維持してきた海水が、宇宙空間で自由奔放に泳ぎ出す、そんな感覚。友人のいない街、誰も私を一つの型に押し込めない街。手を伸ばして、私のアイデンティティを掴み出さなくてはいけない。どれが私を構成する要素たりえるだろうか、一冊手にとってはパラパラとページをめくり、落胆し、棚に戻してゆく、そんな毎日。旅をして、部屋の窓から見える景色が変わるたびに、「わたしとはいったい何者なのか。」という問いが知らない街の香りとともに部屋に入ってくる。昔の街に置き去りにされたままの私の魂を、ただじっと目を凝らして待ち続けている。私の心はまだ、あの遠い街にある。湯煙と硫黄の香りのする街、最北端のあの一面の牧草地。私の魂の一部はそこで地縛霊になるらしい。躍起になって探す、私の構成要素。ここで感じたこと、浮かんだ言葉、口から出た文法、それらすべてが私を私たらしめているのかもしれない。そう思うと、私の心臓はどくどくと激しく脈打ち、血液を回し始め、ぐわんぐわんと視界は揺れる。まるで虫眼鏡を通して世界を見ているようだ。視界は狭いのに、明瞭度はやけに高い。くっきりと見えているのに、それは世界のほんの一部でしかなく、全体像は依然暗闇の中。おぼつかない足取り。すべてを拾い上げて記そうだなんて、人類には無理なのかもしれない。歴史書に記されていない人間が昔生きていたみたいに、日記に記せない私の些細な喜びもそこに存在していることをどうかわかってほしい。