「イースターエッグ」的アイデンティティ
夏目漱石の説く、上滑りの近代化によるアイデンティティの喪失。これは明治維新で西洋化を余儀なくされた当時の人々だけではなく、現代人も抱えている課題である。
現代を生きる人々が懸命に磨きをかけ、きれいに塗装しているのは内的な核となる部分ではなくて、外側の殻だけではないのだろうか。中身のない卵をカラフルに色付けたイースターエッグみたいだ。高校でも大学でも、どこでも、人はみな、誰かに迎合しようと必死である。他者の目を通じてしか己を認識できないために、常に外観ばかりを充実させようとしている。就職活動でも、大学で学問をするときでも、人前で自分の夢を語るときでさえ、誰かに求められる自分でありたいと願ってしまう。
人は自身の内面とゆっくり向き合い、己の精神の居場所や、欲求に耳を傾けなくてはいけないのだ。経験や学問、知識は自身の内面を豊かにするために身につけるのであって、社会に迎合するためでは決してないのだということを今一度思い出すべきである。そうでなければ、私たちの人生は永遠に上滑りをし続け、地面に両足をつけてしっかりと立てないままに幕を閉じてしまう。
だからこそ、自己本位に生きたいと私は思うのだ。人間は思考を停止してはいけないのだと強く思う。生きている限りどんな小さな選択にも責任が伴う。だからこそ私たちは自身の物差しで物事を判断し、己の精神の声を聴かなくてはいけない。価値観は常に変化し、時には間違うこともある。しかし、考えることをやめることは、より良く生きることを放棄することに等しい。人間は生きている限り哲学というものをし続けなくてはいけない。小説は、一見すると無謀にも無駄にも思えてしまうこのような人間の試みに声援をくれる存在であるのだと私は信じたい。
ワタシヘ
偉そうなことを綴っている暇があるなら、課題をやれ、馬鹿者よ。
ワタシより