飾らないワタシの地味日記

道端に捨てられた詩を拾います。(20)

冷えていく

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文字に対する圧倒的な信頼が世界に膜をかぶせているように思う。「文字」「圧倒的」「信頼」「世界」という単語を目にして、それぞれに抱くイメージを疑わぬままに受け入れてしまう。海に「うみ」という名前をつけて、愛おしい立ち振舞いを「かわいい」と形容するとき、その海は死に、あの愛しさは消滅する。すべての海の最大公約数としての「うみ」は実態を持たぬ無色透明無味無臭の海である。

 


次に寄せてくる波は前の波とほとんど同じだけれど、よく見ると少しだけ違う。どれが本当の波なのか分からないまま、わたしも何度も同じことを繰り返し書くしかない。 (多和田葉子『雪の練習生』より抜粋)

 


文字である「波」はこの世界のあらゆる波を包摂するが、その波自体を指し示すことは永遠にできない。そのため「何度も同じことを繰り返し書く」しかないのである。そして、 繰り返し「波」を書き綴ることでその波の姿は消えてしまうのだろう。

 

 

文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人 間の中にはいって来た。今は、文字の薄被をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々 は知らない。(中島敦『文字禍』より抜粋)

 


文字文化によって、「歓び」も「智慧」も記号の後ろに隠れてしまった。そして我々は次第 に対象を細部まで観察するための五感を衰退させてしまったのではなかろうか。

 

言葉で語ることで、その余剰を剥ぎ取って殺してしまえる。血生臭いな。

丁寧に慎重に言葉を紡ぎたい、でも文字は記号で、「 愛 し て る 」は音だから、あなたのこと、いつまでたっても愛せない。